三木崇稔のゆるふわ哲学

難しい考えを抜きに哲学するブログ

勇気は恐れないことではない、恐れと向き合うことである

勇気とは

あなたの行動に

恐怖の影響を与えないことだ。

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アーサー・ケストラー

勇気とはどういうものをいうのでしょうか?

一般的に、勇気がある者とは恐れ知らずで、どんなことにも躊躇いなく行動できる人のことを想像しがちではないでしょうか?

 

ただ、勇気の意味を考えるにあたって、恐怖を感じないことが勇気を持つことの条件にはなりません。なぜなら、恐怖とは自分の身を危険にさらさない為の一種の防衛反応だからです。つまり、どんな人も恐怖を感じるものであり、むしろ恐怖を覚えない方が生物としての機能を欠如しているとさえ言えます。

 

したがって、勇気を持つ為には、勇気を発揮する際の恐怖に向き合う必要があるでしょう。それでは、恐怖に向き合う為にはどうすればよいのでしょうか?

 

その答えを見つけるには、生物として最も恐れるべき恐怖あるいは避けるべき危機について考える必要があるでしょう。そして、そういった恐怖や危機は何なのかと考えた時、基本的にすべての人に当てはまるものがあります。

 

それは「死」です。基本的にどんな困難や課題も生きていれば、何とか対処できるものがほとんどです。勿論、対処する際、とてつもない苦労や努力が必要となるものもありますが、生きていれば何とかなります。要するに、何らかの偉業や成功も達成する為の要素はたった一つであり、それは「継続性」である為、継続できなくなることがある種の恐怖であり、継続性を失わせる代表例が死なのです。

 

このことから、真の恐怖とは「死」と直接的な継続性の喪失事例に関わらず、今やろうと思っていることを継続できなくなることといった若干抽象的な継続性の喪失も含まれていると考えられるでしょう。

 

以上のことから、勇気とは恐怖と向き合うことであり、その際の恐怖とは継続性の喪失です。つまり、勇気を発揮したい時に考えるべきことは、失敗する恐怖よりもそれは今しか出来ない可能性を考慮し、今後そもそも挑戦できないことを後悔するかもしれない恐怖と向き合うことなのです。