三木崇稔のゆるふわ哲学

難しい考えを抜きに哲学するブログ

真の友達とは?

多数の友を持つ者は、

一人の友も持たない。

f:id:deemcoach:20200702134100j:plain

アリストテレス

ひとえに友達というけれど、実際のところ友達とはいったいどういう存在なのでしょうか?この疑問を考える場合、まず交友に関しての度合いを考える必要があるでしょう。

 

まず第一段階として、①まったく見知っていない状態がすべての対人関係におけるスタートラインであると考えられます。この地球上にはおよそ70億もの人が個として確かに存在している限り、この段階は外すことはできません。

 

次に第二段階として、②一方だけが知っている状態です。ただこの段階は、どの交友関係においても通るとは言えず、いきなり第三段階である、③双方が知っている状態に移行する場合もあります。その為、単純に考えるなら、②と③を一つの段階と捉えた方が妥当かもしれませんが、やはり②の状態と③の状態を比較した場合、親交度を考慮すると同一段階であるとは判断しにくいでしょう。

 

そして第四段階として考えられるのは、④条件のある交友関係です。つまりどういうことかというと、子ども同士が友人であるまたはクラスメイトであるとか、あるいは会社の同僚であるからとか、何らかの外的要因により交友関係を継続している状態のことを指しています。要するに、その何らかの外的要因が排除された場合、交友関係が切れてしまうような薄い関係と考えられる為、この段階でも真の意味で友と呼べる関係ではありません。

 

では、真の意味で友と呼べる段階である第五段階として考えられるのは、⑤条件のない交友関係です。言い換えれば、仮にその人と付き合い続ければ、少なからず何らかの被害あるいは不幸に見舞われる可能性があると分かっていても、その人の元を去らず、引き続き交友関係を継続してくれる段階がこの段階です。更に言えば、この段階の交友関係は、どれだけ金銭を払っても構築することが出来ず(金銭という条件を付けているため)、どれだけ友人が多い人でもこの⑤レベルの友人は数える程しかいないものです。ひどい時には、一人もいないなんて場合もある程に・・・。

 

以上のことから、友達とは2種類いると考えられます。それは以下の通りです。

イ.条件付きでなりたっているもの

ロ.条件無しでなりたっているもの

 

そして、多くの場合イ.の友達がほとんどであり、ロ.の友人は少数であると考えられます。このことから、個人的な考えとしては、たとえたった一人であったとしてもロ.のような友人を持つことが何よりも尊いものだと感じています。