三木崇稔のゆるふわ哲学

難しい考えを抜きに哲学するブログ

無駄な娯楽なんてない

目的のある娯楽は

真の娯楽にはならない。

娯楽には目的がなくて、

しかもそれは生活にとって

合理的なものである。

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三木清

娯楽とはどういうものをいうのでしょうか?

身近な言葉ですが、いざ娯楽がいったどういものかと問われば何と答えたらいいのか分からない人も多いと思います。

 

では、その答えを探すにあたって、まず手掛かりとなるのは、世間一般的に娯楽と考えられるものにスポットを当ててみましょう。基本的に娯楽とは日常生活における家事や仕事、学業には付随しないものと考えられています。つまり、言ってしまえば生産性のないものといえるかもしれません。

 

ところが、一見生産性がないように思える娯楽ですが、例えば娯楽の一つとして考えられている旅行で考えて見ると、旅行はもちろんしなかったからと言って、生きていけなくわけではなく、不必要なものと考えられます。それに、旅行をしたからと言って金銭的な報酬を得ることもありません(お土産などの報酬はあるかもしれませんが)。

 

けれど、ホテルや旅館、民宿などの旅館業の人やバスやタクシーなどの人を運ぶ運輸業の人は、言い方はかなり悪いですが生きていく上で、まったく必要ない無意味な行為によって金銭を得て、生計を立てている人もおり、総じて考えると旅行は生産性がないと言えず、それどころか旅行者が増えるにつれ、多大な生産性を有していると考えることが出来ます。

 

このころは、旅行に限らず、どんな娯楽にも言えることです。つまり、娯楽というのは娯楽を楽しむ人にとっては生産性はないもののその娯楽を提供したり、その娯楽を楽しむ家庭に協力する人などにとっては生産性を有するものを指していると仮定できます。

 

ただ、ここまでの話はあくまでも金銭的な尺度で考えた場合であって、経済用語でいうところの効用、要するに楽しさや充実感といった心の報酬を考えた場合、娯楽をすることでそういった目には見えない報酬を得ることは見過ごすことは出来ないでしょう。そして、そういった報酬を糧に日々の仕事や家事、学業などに精一杯取り組めるようになることも。

 

以上のことから、娯楽とは娯楽を行なう人は、心の栄養のようなものを得る代わりに、それらの娯楽に関わる人の生産性の向上に寄与している行為のことをいうのです。